「魔術」(芥川龍之介)

芥川はここで何を狙ったか

「魔術」(芥川龍之介)
(「蜘蛛の糸・杜子春」)新潮文庫

「私」はある雨の夜、
魔術師として高名な友人
マティラム・ミスラ君に
会いに行く。ミスラ君は
「魔術は欲のある人間には
使えない」と前置きをし、
「私」に魔術を教える。
数ヶ月後、
「私」は教えられた魔術を、
他の友人たちに披露する…。

欲を出してはいけない、と
わかっていても、つい欲が出てしまう。
そんな人間のどうしようもない性を、
これだけ鮮烈に描いた短編小説が
あったでしょうか。
芥川龍之介の「魔術」です。

さて、「魔術」を他の友人たちに
披露した「私」はどうなったか?
「私」はカードで大勝ちをします。
その途端に現実に引き戻されるのです。
魔術を使えるようになった
数ヶ月の記憶は幻覚で、
「私」はまだミスラ氏の目前。
ミスラ氏は言います。
「あなたはそれだけの修行が
出来ていないのです」。

最後の場面で突き落とされる。
「蜘蛛の糸」同様、
芥川得意の展開です。
読み手はここで否応なく人間の本質と
向き合わなければならない
しくみになっているのです。

さて、芥川はここで何を狙ったか?
①「人間、欲を持ってはいけない」という
 人生訓を強烈に示す。
②「人間なんて所詮こんなものさ」という
 人間分析を嫌みたっぷりに示す。

「蜘蛛の糸」や「杜子春」であれば、
①の要素が強そうです。
また、新潮文庫版の解説には、
この作品が
「少年少女向けに書かれた」とあります。
そして、芥川は①のような、
直接的な言明を作品に込める場合、
「私」を使うことが多いようです
(ちなみに②のように
屈折した感情を吐露する場合は、
「毛利先生」のように
伝聞の形で書かれることが多い)。

一方で、
この作品の設定には、
子ども向けの要素が
魔術の習得以外にありません。
また、この作品が書かれた大正8年は、
芥川が横浜海軍学校を辞し、
創作に専念し始めた年であり、
自分の書きたいことを
思う存分表現した時期であるはずです。
さらには、魔術師ミスラ氏は、
谷崎潤一郎
小説「ハッサン・カンの妖術」
登場させた人物名であり、
芥川はそれを借用し、
大人の読者にしかわからない
仕掛けを弄しているのです。
このような状況証拠に鑑みると、
私は②の線が濃厚なのではないかと
推察します。

そんな小難しいことを考えなくても、
この短編は誰でも
面白く読むことができます。
先日紹介した「蜜柑」とともに、
新潮文庫版「蜘蛛の糸・杜子春」に
収録されています。
中学生にお薦めします。

(2020.3.1)

【青空文庫】
「魔術」(芥川龍之介)

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